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まもなく春ですな

桃字が死んで四十九日目となりました。2月1日がそうとは今日の今日まで気がつきませんでした。

先だって、夜中にうなされて起きました。

妙な夢を見ていたのですが、随分と非道いなんだいを振りかけられて、それに艱難しているというさなかにメガ醒めたと。キロの眠りじゃ足りません。その難題が何だったのか、どうも良く思い出せないのだけど、煎じ詰めると、言葉に出来ない物がどうもあって、それを言葉にしなければならない、という事だったように思われます。

そして、どうにもならなくて苦しくなってメガ醒めたら、ギガ息苦しかった、という次第。起きてからも、頭がパニック状態で、そのまま窓から飛び降りてくだサーい(高校時代の英語の教師の真似)、というぐらいに頭が混乱していたんでありました。

──要するに。

思考できないことを思考しろ、というのは実に気の狂いそうな事なんでありますな。恐ろしい。

ところで。

今日たまたまインターネットの画像で先だってのサッカーの試合を目撃しました。決勝戦その他。

いや、誠相済まない。ワシが悪かった。馬鹿にしていて悪かった。どうしてどうして、結構なハイレベルの試合してたんですな。まあいいところだけ集めた画像だからかもしれないけれど、緻密でスピード感のある試合をしてたという事を今更ながらに知りました。道理で皆さん寝不足なわけで。

ザックおじさんのおかげで、「サッカー人気も回復」、とどこかの記事に書かれていましたが、まったくその通り。前監督のこちこちイメージのサッカーに比べると、柔軟性に富み、何より華やかな感じがする。こういうゲームなら楽しかろうて。

おお、そうそう。どこかの監督も「退任」だそうですな。なんとなく、このあたり似たものを感じるのだけど、人を伸ばすというのは、実にむつかしいものですな。
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夢の合間に

桃字が死んで45日。あと四日で49日。

待ちきれなくなったのか、今朝は桃字君が夢に現れました。まったく、久しぶりに楽しそうに紐にじゃれてくれます。

なんだ、死んでなかったンジャン。そうだよね、勘違いだったんだよね。

片仮名交じりで喜びの声も束の間、桃字君は急に咳き込み始めます。

あれれ?げろでも吐くのか?ああ、そういえばあのとき焼き場に連れて行ったんだから、あれ?いまここにいるっておかしくない?

そういえば、この白い部分が焼けにグレーだよな・・・

──と覚醒してゆく意識が疑問を呈し始めます。

やはり夢でありました。

嫌だねぇ、こういう夢って見るんだねぇ。ちょっと子供じみていて、それがむしろもの悲しい。

悲しみの合間に

なんでも聞くところでは、韓国のサッカー選手が、先だっての日韓戦での先取点の際に、うれしさ余って「猿の物真似」をして不興を買ったそうですな。ところによっては「猿真似」などと報道しているところもあるようだけど、「猿真似」というのは、「猿が人の動作をまねるように、他人のすることを表面だけまねすること」だそうだから、違いますな。で、その「猿の物真似」ってのは一体何のことかと思ったら、どうやら「日本チーム」あるいは「日本人」を侮蔑する意図があったと、そういうわけだそうで。

この一件に関しては、愛国的態度が醸した物議に対して、かなり寛容に見えるかの国の地元メディアも、

「韓国は試合にも負けてマナーでも負けた」

というように、あまり擁護する気配もないようで、まあそりゃそうだろうとは思います。それが心根では同調したくても大人の態度というものでありますな。しかし、この件で悲しいのは、そのこと以上に侮蔑するために行ったパフォーマンスが「猿の物真似」だったという、他ならぬその事実そのものにあるのですな。つまり、あちこちで指摘されているとおり、それは「黄色人種全体」を指す侮蔑的所作であるという事に尽きます。

勿論そのことを知らなかった、という可能性もある。だけど、そのことを知らなかったとするなら、そのあまりのナイーブさに悲しさを感じるし、知っていたとしたら、それに輪を掛けて悲しい。つまり人種が同じだとかそういう話ではなく、その「物真似」が、彼が自分自身の活躍の場としている英国かどこかで覚えてきたであろう侮蔑的所作にほかならず、とどのつまり、そういう感情の発露までもが、毎度のごとく、「本場のコピー」にしかならない、文字通り「猿真似」にしかならないという「世界の辺境の悲哀」をそこに見てしまうからであり、紛れもない「劣等感」の歪んだ現れ、平たくいやぁ「田舎もの根性」丸出し、だったからにほかなりません。

これは私らがみんな等しく持っているであろう感覚で、わかりやすいところでいえば、ちょっとばかし東京に行ってきた田舎ものが、やたら東京を自慢してみる様などはよくあること。あるいは、故赤塚不二夫が戯画化した、あの「イヤミ」というキャラクターなどがわかりやすいでしょうな。芸能界の楽屋ネタをテレビを介して見ているだけなのに、まるで自分が見聞きしてきたかのように、しかもタレントを友達のように呼び捨てで、呼んだりする、そんなのも感覚的には通底するでしょう。

だから、見ている方は、

「ああ、やっちゃった(;´Д`)」

という、いかにも悲しい感じを抱いてしまう。(実はワタクシは見てないけど。)つまり、そのパフォーマンスは、「アジア大会」が「田舎もの」の大会であって、本場とは「ほど遠いもの」である事を図らずも露呈させてしまった、つまり冷や水を浴びせてしまった事が、むしろ不興の原因ではなかろうか、とさえ思うのでありますな。だから表だって擁護もしにくいし、同調者も少ないんじゃないかと。

まあそんな具合に、二重三重に悲しい出来事なのでありました。

さて、悲しいといえば──

桃字が死んで44日。別段特別な日ではないけれど、まもなく49日になるのだなぁと思って見たり。さすがにこの頃はワタクシの心も愚図愚図いうことも少なくなり、平穏な時間帯が続くのだけれど、それでも朝起きたときや、帰宅したときにはかつての姿や声や音が見えたり聞こえたりするのだからやりきれない。とはいっても、それもだんだんと短くなってきて、人間というのは、記憶に記憶を塗重ねながらいろんな事を忘れてゆくのだ、と熟々思うのであります。ああ、つくづく、ってこんな風に書くのだね。「じゅくじゅく」じゃなくて。

ところで、このところは我がブルーシートハウスに帰る理由もなくなったので、外をウロウロしております。ウロウロしながら、映画館の裏口で背中を向けて立っていたら、

「こら!そこは出口じゃない!」

と怒られて、首尾よく只で入ることが出来ました。そうしてみたのが、今話題の『ソーシャルネットワーク』。なんだかアチャラの映画関係者の賞を総なめみたいにして、次々と授賞。ゴールデングローブ賞でも監督賞か何かを授賞したんじゃなかったでしょうか?

面白い映画ですな。確かに。

まず、役作りが面白い。あの主人公の異様な早口といい、余りに自己中心的な性格といい、その天才的な人物像の作り方が面白い。ちなみにネット上に紹介されていた、かの氏のインタビューでは、映画はかなりデフォルメされているようにも見えましたな。

ストーリーは、意外と平凡といえば平凡なのだけど、編集技術が非常に面白く、前後関係を敢えて混在させて、次第次第に様々な疑問点が、映画の中のストーリーでもわかり、まあこれは既にあるといえばあるけれど、またこちらの了解も過去にさかのぼって(要は映画の最初のを思い出しつつ)なされるという、やや面倒くさい手続きを踏んでおります。そして、音声もかなり興味深く、様々な台詞や背景音のミックスのさせ方がなかなかよくできていると、素人ながらに思いつつ、また撮影も流行の「トイカメラ風」を早速取り入れてみたりと、いわば「くすぐり」みたいなのもよくちりばめられていて飽きさせない。

この映画のおかげで、「SNSの黒船」と呼ばれる「フェイスブック」は益々関心の対象となり、登録者数はさらに増え、株価もさらに上がる、そんな絵姿が浮かびますな。ワタクシの友人も早速登録しておられます。

こうなるともう、噂が噂を呼ぶ、金が金を呼ぶ、こういう世界に突入しつつあるような気もしますな。映画の中で面白いのが、彼らのやっていることが、まったく金にならなくても、そこに金を出す投資家が現れてくること。何十億という金を出しちゃうんだから驚いちゃいます。もちろんその投資は投機でもあり、ギャンブルそのものであります。と同時に、まだ何もないのにそこに金が出来ていく様は、まるで「ネズミ講」みたいに、実体のないところに金が生まれていくような様を見ているようで、お金の空恐ろしさのようなものまで感じてしまったという次第。

さて、この「黒船」。まだ日本では今ひとつ広がりに欠けているようでありますが、多分「建前」と「本音」を使い分ける日本の社会では、フェイスブックのようなアイデンティティの明らかなSNSはなじまない、というのもあるんでしょう。とはいえ、この映画とともに広がるんじゃないでしょうか。おそらくはアカデミー賞辺りが切っ掛けになるでしょうか。アカデミー賞で作品賞か、監督賞、そんな辺りを授賞して、また話題に火をつけていよいよ持って広がると、そんな予定調和に近いぐらいの結末さえ予想してしまうんであります。既に、新聞かなにかだったか、そういうメディアでも「日本の代表的なSNSであるmixiが、招待制を止めて以来、退会者に歯止めがかからない」などという記事も見かけたところ、やはりこの手の事は「本場」のものに負けてしまうのかしらん?──まあmixiなんて大きいか小さいかだけで、本質的には変わらないし、まったく応援したくないから、なくなったってかまわないけど、何でも巨大な資本に喰われていってしまう、という図式はやっぱりもの悲しいんであります。

そういえば「トイカメラ風」の元祖が、本城直季というフォトグラファーだったと思うけど、それも知らないで、この映画を見たら、きっとこっちが元祖だと思ってしまったりもするんでしょうな。まさにこちらは「コピー」が「オリジナル」を凌駕する、そんな世界のようで。世の中、金と力にはかなわねぇ、そういうことでしょうかな。

相変わらず日々悲しいのであります。

十四日目

桃字が死んで早14日。2週間が過ぎようとしている。月日が経つのは早いもの。

それにしても、ああ、しんどかった。ここに来てようやく喉の腫れも治まってきました。

先週末の土曜日、えもいわれぬ悪寒に襲われ始めたのが、夕方外から帰ってきてからのこと。これは風邪だなぁ、と見定めて、翌日も打合せがあることだし、さっさと帰宅して体をぬくめて汗をかき、翌朝にはスッキリさっぱりさせる予定で、葛根湯を買い込み、そういえば体温計が壊れていたのも思いだし、新しく安物を購入。

これで準備万端。家に帰り作り置きのおでん何ぞを暖めて内側からも汗をかく準備。いざ寝んと欲す──が。

ちょうど床に入って最初の検温が37度ちょい。まあ予定通りの微熱レベル。こんなもんなら一汗かけば元通りと高をくくっていたのに、あに図らんや、深夜に及んで、38度を軽く超し、これはどうやら簡単には事が済まないと思いつつ、ここが峠と一縷の望みをまだ抱く。

IMG_1286+.jpg


一方で心の片隅にこだまする声。

インフルエンザ

いやいや、そんな事はあるまいて。しかし今年はA香港型が流行っているとか、免疫がないからかかりやすいとか、そもそもワタクシはここ何十年もインフルエンザそのものにかかったことがない、とかそんな記憶が重なり合い、不安が募る。39度を超したら病院行こう、と決意。

そうしている内に早朝近く、目が冷めて体温を測ってみると、39,2度。こんな体温、45になった今の今まで経験したことがない、とうろたえる。やはりインフルエンザか。

IMG_1287+.jpg


怠い体にむち打って、寒さもつのる夜明け前、めまいをこらえながら車を駆り、とあるコロニーの人気DJがいる大病院の救急外来にたどり着いた。既に車を止めるのも面倒なのに、最寄りの駐車スペースが満杯。たまたま見つけた空きスペースに強引に車を止めて、受付までの遠い道のりを、それでも自分にしっかりした足取りを意識させながら向かう。

愚図愚図と待たされるのは大病院の常。以前に来たときは頸椎を痛めたときだっけ、あのときは間抜けな研修医がレントゲンまで撮って、

「ガンじゃありません」

と答えたんだっけ。そういう答えで納得する患者がいるのか、馬鹿者。結局処置は頓服のみ。後日旧知の医者の竹ちゃんに診断し直してもらったんだっけ。そんな事なら行かなきゃよかった──と、以来救急外来はぺーぺーのいるあまり信用ならない所という観念ができてしまったのだけど、この際そうはいっていられない。今回は症状が明白だから答えも明白だろう。

待たされること30分。自分の番号は104番。順序よく、102,103,ときていよいよ104かと待っていたら、また102に逆戻り。などなどずっこけさせられながらも、ようやく診察。こっちはしんどいんだから早くしてくれよ~~、とは心の叫び。みんなそうでしょう。

さて、診察室に入ってみて相見えるのは、なんとも可愛らしい女医さんじゃないですか。いかにも優等生っぽい、ピンクの金属フレームが萌えさせるのでありますな。この時点でもはや診察などどうでも良い状態。

とはいえ、結果はインフルエンザではなく、扁桃炎。原因は色々考えられるけど、近くに細菌を持った人がいたという可能性が大。そういえば足がやっぱりゲホゲホやっていたのを思い出して申告。彼奴が犯人に違いないのである。

後から調べてみると、扁桃炎というのも大層な熱が出るそうで、38~40度ぐらい出るんだそうです。そんならいっそ40まで待てばよかったような、と惜しい気分も、回復すればこそのもの。

いったん診察室から解放されて、会計を待っていると、前例よろしくふたたび呼び戻される。細菌の培養をするので、サンプルを取らせろと言う。勿論快諾。女医さんが、首もとのマフラーをほどいてくださる手つきがいや、なんともエロチックで年甲斐もなくドキドキしてしまった次第。その上、「やっぱりかなり熱っぽいですね~」などとリンパ周囲をサワサワされればもう、矢も楯もたまらず押し倒し、その場で愛の告白などを試みるも、悲鳴を聞いて駆けつけてきた凶悪な顔つきの看護師連から羽交い締めにされ、四肢を押さえつけられた挙げ句殴る蹴るの暴行三昧。這々の体で診察室から放り出されるという病人にあるまじき始末──と熱に浮かされ妄想も暴走。

ともあれ、今回は病状が明白だったこともあり、見立ても明快。もらったクスリを飲み続けラリり続け、喉の痛みもようやく納まり、本日ノーマルモードに復帰という次第。

やれやれなんだか大変な年末だ。

11日目

何とも体が怠くて仕方がない。風邪を引いたのかそれとも疲れなのか、あるいはこのところ立て続けに起こる不快の為なのか、その全部の所為なのか判然としないのだけど、かかってきた電話に出ても、「元気がない」だの「暗い」だのといちいち説明するのも面倒だ。まあ風邪ということにしておこう。今日は早めに寝ることにする。多分足にうつされたのだ。間違いない。足め。足のくせに。

しかし家に帰っても喜んで迎えに出てくる桃字はいないし、何となくポツネンと一人ぎりでもそもそと食事をするのもうら寂しい。帰ったところでそんな風だから、忘年会で酔った勢いにまかせ、隣にいた女と同衾してみたりもしたけれど、そういう振る舞いで癒されるものでもないし、気持ちも今ひとつ盛り上がらない。結局帰って一人で寝ていた方が今の気持ちには似つかわしい。

それにしても、昼飯時や寝る前に百ケン先生の『ノラや』を読むのだけど、これはもう筋金入りのペットロスですなぁ。

ワタクシなんぞは足元にも及ばない。ペットロスに「筋金」があるかどうかわからないけど。

といっても、よく似た症状が記述されていて、その心の有様が何となく相通じるモノだから、百ケン先生のある種の滑稽とともに、何か救われたような気分になる。

百ケン先生の話で面白いのは、ひょんな事で迷い込んできた野良猫「ノラ」が、行方不明になってしまい、その行方を案ずるその余りに隠し立てのない姿なのだけど、日記がすべてノラの失踪した日が基準になっているのが好もしい。ちょうどワタクシも、これから桃字の日付を決めようと思っていたところだけに、まるで過去に同士を発見したような気持ち──というより、みんなそうなんだろうね、きっと。

しかし、ノラ365日、つまり一年経ってまだその行方を案じ、涙を流す、百ケン先生の振る舞いはむしろ凄まじい。常人離れしている。それに比べた自分の常人ぶりが余りに平凡なので、こちらは悲しみが薄れるという案配。

日記には、大まかに日付、当日の天気、出来事などが記されていて、当時の気候なんぞも気配として伝わってくる。日記の書かれたのは1957年、昭和32年だから、いまから53年も前だから、微妙に言葉遣いも違ったりして、そういうディテールもまた興味深い。

例えば、天気の表記で、半晴ハング森誰?森?半晴半曇なんて書き方をしている。今のように、天気予報の言葉も巷間に流布していなかったのだろうか。夏場の気温も日中34度をを記録したりして、それなりに暑かったり。

ノラを捜すのに都合三度も新聞に折り込み広告を入れたり、「外人の」所ではないかと英語版まで刷ってみたり、その熱意に敬服するのは勿論で、さらに面白いのは、一年も経とうというのに、「ひょっとして・・・」というような連絡が届くこと。そうした人々の人情にも心打たれる。本当に東京は猫が多いところだったし、多分今でも多いんだろうなぁ、と想像。名古屋ではあんまり野良猫を見かけないのはワタクシがそういう場所にいないからなのか。

実はまだ読破していないのだけど、読み終わったら気持ちの支えがなくなりそうなので、できるだけちょっとずつ読もうと思う。しかし次はかなりショッキングな出来事が待っているようで、本当はそこを読みたくない、という気持ちもあったりして、ページを繰る手が煮え切らない。

ああしかし、本当に熱っぽくなってきた。これは早めに寝るに死苦は無し、である。
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Author:respirateur
グゥ。。。

熊時計
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