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悲しみの合間に

なんでも聞くところでは、韓国のサッカー選手が、先だっての日韓戦での先取点の際に、うれしさ余って「猿の物真似」をして不興を買ったそうですな。ところによっては「猿真似」などと報道しているところもあるようだけど、「猿真似」というのは、「猿が人の動作をまねるように、他人のすることを表面だけまねすること」だそうだから、違いますな。で、その「猿の物真似」ってのは一体何のことかと思ったら、どうやら「日本チーム」あるいは「日本人」を侮蔑する意図があったと、そういうわけだそうで。

この一件に関しては、愛国的態度が醸した物議に対して、かなり寛容に見えるかの国の地元メディアも、

「韓国は試合にも負けてマナーでも負けた」

というように、あまり擁護する気配もないようで、まあそりゃそうだろうとは思います。それが心根では同調したくても大人の態度というものでありますな。しかし、この件で悲しいのは、そのこと以上に侮蔑するために行ったパフォーマンスが「猿の物真似」だったという、他ならぬその事実そのものにあるのですな。つまり、あちこちで指摘されているとおり、それは「黄色人種全体」を指す侮蔑的所作であるという事に尽きます。

勿論そのことを知らなかった、という可能性もある。だけど、そのことを知らなかったとするなら、そのあまりのナイーブさに悲しさを感じるし、知っていたとしたら、それに輪を掛けて悲しい。つまり人種が同じだとかそういう話ではなく、その「物真似」が、彼が自分自身の活躍の場としている英国かどこかで覚えてきたであろう侮蔑的所作にほかならず、とどのつまり、そういう感情の発露までもが、毎度のごとく、「本場のコピー」にしかならない、文字通り「猿真似」にしかならないという「世界の辺境の悲哀」をそこに見てしまうからであり、紛れもない「劣等感」の歪んだ現れ、平たくいやぁ「田舎もの根性」丸出し、だったからにほかなりません。

これは私らがみんな等しく持っているであろう感覚で、わかりやすいところでいえば、ちょっとばかし東京に行ってきた田舎ものが、やたら東京を自慢してみる様などはよくあること。あるいは、故赤塚不二夫が戯画化した、あの「イヤミ」というキャラクターなどがわかりやすいでしょうな。芸能界の楽屋ネタをテレビを介して見ているだけなのに、まるで自分が見聞きしてきたかのように、しかもタレントを友達のように呼び捨てで、呼んだりする、そんなのも感覚的には通底するでしょう。

だから、見ている方は、

「ああ、やっちゃった(;´Д`)」

という、いかにも悲しい感じを抱いてしまう。(実はワタクシは見てないけど。)つまり、そのパフォーマンスは、「アジア大会」が「田舎もの」の大会であって、本場とは「ほど遠いもの」である事を図らずも露呈させてしまった、つまり冷や水を浴びせてしまった事が、むしろ不興の原因ではなかろうか、とさえ思うのでありますな。だから表だって擁護もしにくいし、同調者も少ないんじゃないかと。

まあそんな具合に、二重三重に悲しい出来事なのでありました。

さて、悲しいといえば──

桃字が死んで44日。別段特別な日ではないけれど、まもなく49日になるのだなぁと思って見たり。さすがにこの頃はワタクシの心も愚図愚図いうことも少なくなり、平穏な時間帯が続くのだけれど、それでも朝起きたときや、帰宅したときにはかつての姿や声や音が見えたり聞こえたりするのだからやりきれない。とはいっても、それもだんだんと短くなってきて、人間というのは、記憶に記憶を塗重ねながらいろんな事を忘れてゆくのだ、と熟々思うのであります。ああ、つくづく、ってこんな風に書くのだね。「じゅくじゅく」じゃなくて。

ところで、このところは我がブルーシートハウスに帰る理由もなくなったので、外をウロウロしております。ウロウロしながら、映画館の裏口で背中を向けて立っていたら、

「こら!そこは出口じゃない!」

と怒られて、首尾よく只で入ることが出来ました。そうしてみたのが、今話題の『ソーシャルネットワーク』。なんだかアチャラの映画関係者の賞を総なめみたいにして、次々と授賞。ゴールデングローブ賞でも監督賞か何かを授賞したんじゃなかったでしょうか?

面白い映画ですな。確かに。

まず、役作りが面白い。あの主人公の異様な早口といい、余りに自己中心的な性格といい、その天才的な人物像の作り方が面白い。ちなみにネット上に紹介されていた、かの氏のインタビューでは、映画はかなりデフォルメされているようにも見えましたな。

ストーリーは、意外と平凡といえば平凡なのだけど、編集技術が非常に面白く、前後関係を敢えて混在させて、次第次第に様々な疑問点が、映画の中のストーリーでもわかり、まあこれは既にあるといえばあるけれど、またこちらの了解も過去にさかのぼって(要は映画の最初のを思い出しつつ)なされるという、やや面倒くさい手続きを踏んでおります。そして、音声もかなり興味深く、様々な台詞や背景音のミックスのさせ方がなかなかよくできていると、素人ながらに思いつつ、また撮影も流行の「トイカメラ風」を早速取り入れてみたりと、いわば「くすぐり」みたいなのもよくちりばめられていて飽きさせない。

この映画のおかげで、「SNSの黒船」と呼ばれる「フェイスブック」は益々関心の対象となり、登録者数はさらに増え、株価もさらに上がる、そんな絵姿が浮かびますな。ワタクシの友人も早速登録しておられます。

こうなるともう、噂が噂を呼ぶ、金が金を呼ぶ、こういう世界に突入しつつあるような気もしますな。映画の中で面白いのが、彼らのやっていることが、まったく金にならなくても、そこに金を出す投資家が現れてくること。何十億という金を出しちゃうんだから驚いちゃいます。もちろんその投資は投機でもあり、ギャンブルそのものであります。と同時に、まだ何もないのにそこに金が出来ていく様は、まるで「ネズミ講」みたいに、実体のないところに金が生まれていくような様を見ているようで、お金の空恐ろしさのようなものまで感じてしまったという次第。

さて、この「黒船」。まだ日本では今ひとつ広がりに欠けているようでありますが、多分「建前」と「本音」を使い分ける日本の社会では、フェイスブックのようなアイデンティティの明らかなSNSはなじまない、というのもあるんでしょう。とはいえ、この映画とともに広がるんじゃないでしょうか。おそらくはアカデミー賞辺りが切っ掛けになるでしょうか。アカデミー賞で作品賞か、監督賞、そんな辺りを授賞して、また話題に火をつけていよいよ持って広がると、そんな予定調和に近いぐらいの結末さえ予想してしまうんであります。既に、新聞かなにかだったか、そういうメディアでも「日本の代表的なSNSであるmixiが、招待制を止めて以来、退会者に歯止めがかからない」などという記事も見かけたところ、やはりこの手の事は「本場」のものに負けてしまうのかしらん?──まあmixiなんて大きいか小さいかだけで、本質的には変わらないし、まったく応援したくないから、なくなったってかまわないけど、何でも巨大な資本に喰われていってしまう、という図式はやっぱりもの悲しいんであります。

そういえば「トイカメラ風」の元祖が、本城直季というフォトグラファーだったと思うけど、それも知らないで、この映画を見たら、きっとこっちが元祖だと思ってしまったりもするんでしょうな。まさにこちらは「コピー」が「オリジナル」を凌駕する、そんな世界のようで。世の中、金と力にはかなわねぇ、そういうことでしょうかな。

相変わらず日々悲しいのであります。
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