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三日目

桃字が死んで三日目が過ぎようとしている。

仕事に出て、誰かと話をしていたり、何かに気を取られているとたいがい大丈夫にはなってきたけれど、クルマの運転中は相変わらず雑念が襲ってきて、とらわれてしまう。一人になるとついつい思いが巡ってしまう。

インターネットで猫の画像はしばらくは見ることが出来ないだろう。

問題はやはり、その瞬間に起こったこと。

布団の上からずっこけて落っこちるという事態は日常茶飯事だったので笑うほかないが、その後にどうしてあんな呼吸困難に陥るのか。

息が出来ないで、目を見開き何とか呼吸をしようとしていたのか、それとも女性獣医師さんの言うとおりほぼ即死だったのか。

話は三日ほど前にさかのぼる。12月12日日曜日。

午前中から比較的天気もよく、午後からは知人と美術館に出かける約束もあり、午前中に洗濯だの掃除だのを済ませようとあくせく働く。

桃字のトイレの周りには新聞紙が広げてあって、飛び散った砂などが片付けやすく、不精者の私なりに工夫してみたりしていたのだけど、どうも砂を変えてから飛び散り方が激しく、新聞紙が面倒ですべて取っ払ってしまったり、全体に気分も変えてスッキリとさせてみた。仕事の方がいまいちすすみが悪いので、気分転換も兼ねていたというわけだ。

そんな流れの中で、埃のたまった棚なども少し片付け、ベッド脇に置いてみた。その前まではキャスターのついたワゴンが置いてあり、いかにも邪魔くさかったので、これでベッド脇も少しさっぱり。

そう。

まさに桃字はその移動させた棚にぶつかって死んだのだ。

遠因を作ったのはこの私自身。

そしてその朝、少し寒い朝、桃字が私の腕の上に体を横たえてグースカ寝ているのがいい加減重くなり、ぼちぼち起きる頃合いもあり、モゾモゾ動いていると、桃字が目をさまし、餌を要求しようとマクラの周りにまとわりつき始めた。

何となく寒いと思ったら、掛け布団がかなりずれていて、それを直そうと思って布団をはね上げ、位置を正し、もう一度首まで布団を掛けて愚図愚図布団からでないでいた、その脇で、桃字が餌を要求していた(のだと思う)──後から餌の皿を確認すると、キャットフードは残っていたけど、あの馬鹿たれは出したばかりのものがどうしても欲しいのである。偉そうに。

ええいちょとまたんか、うるさい。

──と布団の中でまだモゾモゾしている横で、

どんがらがっちゃん。

おいおい、相変わらず鈍臭いな、おまいは。

ところが、いつもなら這い上がってくるベッドの上に、戻ってこない。落っこちておびえているのかと思ってのぞき込むと、もう息が出来ていない様子。

後は既に書いたとおりの顛末。

そう、ここで二重の遠因を私が作っているのである。

棚、布団。

さらにその上に、桃字が転ぶ。

さらにその上に、打ち所が悪すぎた。ベッドの高さなんてたかだか45センチなんだから。

一体どういう偶然が重なれば、こんな非道いことが起きるんだ──と自問自答。

もちろん答えなんか出るはずがない。まるで設えられたかのような運命。

その数日前、私は桃字のあまりの気紛れと我が儘にいささか嫌気も差して、こういった。

「そんなにここが嫌なら出てけばいいじゃないか」

まあよくある話。猫に言う自分もたいがいなもんだが、あまりにも遊びの要望が細かくてしかも飽きっぽく、当方も途方に暮れていたときに腹立ち紛れに言ったこと。

その言葉も一緒になって、その場所に収斂する、その瞬間。

桃字は本当に出て行ってしまった──後悔先に立たず。まさかこういう形で出て行くなんて誰も想像できない。せいぜいベランダから飛ぶぐらいしか頭になかった自分を悔いた。誰の意志でこんな事が起こるのか。

昨日は体の節々も痛むので、いつも通っている鍼灸院に行って、少し治療をしてもらった。

そのときに猫の話を少ししたら、

「きっと嫌ででていったんだわ」

と、何も聞く前に鍼灸師のお婆さんは断言。

「いやー、落ち込むんでやめてください。」

と、先ほどのエピソードを話す。

まあここにも取り返しのつかない瞬間ですな(笑)。

もっとも、先生は私を慰めようと言ってくれたのだから、その心まで責めるわけには行かない。

先生ほかにもこんな事を仰有ってくださいます。

「事故なんかで生き残った人って、必ず自分を責めるんだそうですよ。どうしてあそこであの人を呼んだのか、どうして自分だけ助かったのか、JRの事故の時にもそう言う心理的な罪の意識がかなり遺族にあったって読みました」

正確な記憶ではないけれど、まあこんな意味合いの話。

なるほど、そうなんだ。こういう事故では必ず、どこかに遠因になる存在がある。その遠因を作った側は、どうしもて自分を責めることになるんだろう。

──掃除なんかするんじゃなかった。

これから掃除をする旅に出かけるさよーならー、じゃない、掃除をする度に、布団を引きずりあげる度に桃字を思い出す。あの瞬間を思い出す。あのグラスの割れる音を思い出す。あの顔を思い出す。あの、「ガフッ」という、断末魔の最後の一呼吸を思い出す。

なかなか酷な話である。
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コメント

Secret

No title

なんだワシは間違ってなかったではないか。

> 仕事の方がいまいちすすみが悪い

諸悪の根源はこの仕事相手だな。

そしてすべては人類が発明した「因果関係」という幻想である。

そう、ワシがトイレに入るたびにしかも台の方に入るたびに宅配が来たり電話が鳴ったり明日が〆切というのにクソジジイが倒れて救急車を呼ばれ一晩ついてないといけないとかな。

No title

うーん。。。
私も今年親を亡くしたのでそうやってあれこれ後悔する気持ちもわかるし
逆に、だからといってあんまり自分の首を絞めたらいかんよ?とも思うんですけど
今のイッカクさんにとってはむしろそのように
とことん考えつくしてみることがいいのかもしれないな~と思う気持ちもあり。。。
だってまだ亡くして3日目ですもんね。

けどやっぱり世の中には何をどうしたって
たとえば「もしも」あのときこうしたら&こうでなかったらを実行できていたとしても
どうにもならないことって、あると思うんですよ。
その代表格が死だと思ってます。

…よけいなおせっかいですね。ごめんなさい。

No title

今はまだ、悲しみから抜け出すのは困難極まりないと思いますが、時間が薬ですよ。

私も弟が進行した肺癌だと知った時は、髪は抜け何もかも手につかない状態でしたが、
本人が「太く短くもまた良き人生」(本心では無いでしょうが)
とあっけらかんに言うので救われています。


イッカク殿の桃字くんへの溺愛ぶりは、野良猫くんから見れば羨まし過ぎですよ。
自分を責めないでね。

No title

野リア王氏

>諸悪の根源

まあそれもワシ自身の責任だからな。仕方あるまい。

感情というのは頭で解っていてもなかなか整理できないものである。その起伏は時間とともになだらかになるもので、さすがに本日ともなればある程度コントロールが出来るのであるが、コントロールしてしまうのも惜しいのでもうちょっと遊んでみようかと思う次第。

というわけで、百﨤先生の『ノラや』を注文。

No title

アッシュ殿

お節介というか、まあこうして色々整理するわけです。

そう言うわけで百﨤先生の『ノラや』を注文。

きゃターン殿

野良猫君たちは野良猫君たちで生きる空間があるので、どっちがいいかは私には判断しかねますが、その避けがたかった偶然が重なった瞬間は忘れがたいものです。

そう言うわけで百﨤先生の『ノラや』を注文。

弟さんお大事に。きゃターン殿のご心痛に比べれば畜生に大騒ぎする私なんぞ甘いもんです。

No title

というわけで3冊もノラやを買ったのかたいへんだな3冊も読むのはしかも同じ本。

No title

こんなときではありますが、
今日はお誕生日なんですね。

お誕生日おめでとうございます。

No title

野リア王氏

左様。同じものをサンド注文したので、挟まれて到着する予定。サンド到着の後やはりそれは同じものなので、結果一冊しかないという事なのである。

No title

アッシュ殿

こんな時ですが、ありがとうございます。
プロフィール

Author:respirateur
グゥ。。。

熊時計
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